2025年9月09日
萎縮性胃炎(いしゅくせい いえん)とは、長年にわたる胃の慢性的な炎症によって胃の粘膜が薄く萎んで(萎縮して)しまった状態を指します。以前は「慢性胃炎」と総称されることもありましたが、特に粘膜がやせ細って胃酸を分泌する胃腺が減少した状態を萎縮性胃炎と呼びます。健康診断などで行われる胃カメラ(上部消化管内視鏡検査)によって発見されることが多く、40代以上の日本人ではありふれた所見です。萎縮性胃炎それ自体は良性の変化ですが、将来的に胃潰瘍や胃がんのリスクを高める前がん病変とされるため注意が必要です。本記事では、萎縮性胃炎の原因やリスク、対策について、丁寧に解説します。
萎縮性胃炎はどんな状態か?胃カメラ所見と特徴
萎縮性胃炎になると、胃の粘膜は正常な状態に比べて薄く平坦になり、血管が透けて見えるようになります。胃カメラ(内視鏡)で観察すると、本来はピンク色でツヤのある胃粘膜が、萎縮が進むにつれて黄白色がかった肌色に変わり、表面の凹凸が目立ってきます。また胃のヒダ(胃粘膜のひだ模様)が薄く縮れたり消失したりすることもあります。医師は内視鏡所見から萎縮の程度を判断し、「萎縮が強い」「萎縮範囲が広い」などと報告します。日本の内視鏡診断では、萎縮の広がり具合をClosed型(萎縮が胃の一部に限局)やOpen型(萎縮が胃全体に及ぶ)と分類することがあります。これらは萎縮性胃炎の重症度を表し、Open型のほうが萎縮範囲が広く重度であることを意味します。
胃カメラ検査に加えて、血液検査でも萎縮性胃炎の有無を推測できます。胃粘膜から分泌されるペプシノーゲンという消化酵素前駆物質の血中濃度を調べると、粘膜萎縮があればペプシノーゲンⅠの値が低下し、ペプシノーゲンⅠ/Ⅱ比も低下します。この原理を利用し、ヘリコバクター・ピロリ菌感染の有無との組み合わせで胃がんのリスク層別化を行う「ABC分類」という検査法も広く用いられています。例えば、ピロリ菌に感染していてペプシノーゲン検査が陽性(萎縮あり)であればリスクCと判定され、未感染で萎縮なしはリスクA、といった具合です。このように、内視鏡検査と血液検査の双方で萎縮性胃炎を評価することが可能です。
萎縮性胃炎の原因:ピロリ菌が主な原因
萎縮性胃炎の最大の原因はヘリコバクター・ピロリ菌(ピロリ菌)感染です。ピロリ菌は胃の中に長年すみついて慢性的な炎症(感染性胃炎)を引き起こし、その結果として胃粘膜が次第に破壊・萎縮していきます。実際、日本人の胃がん患者の98%近くがピロリ菌感染に関連するとのデータもあり、ピロリ菌は胃炎から胃がんに至る最大のリスクファクターです。ピロリ菌に感染するとまず急性胃炎が起こり(自覚症状がないことも多い)、その後“病理学的な慢性胃炎”へと移行します。日本人では感染者の約8割以上が萎縮性胃炎という胃酸が出にくい状態に進行し、さらにその中の1%未満の人が胃がん(分化型胃がん)を発症することが報告されています。このように、ピロリ菌感染→慢性胃炎→萎縮性胃炎→胃がんという一連の流れが典型的な経過です(※すべての人に当てはまるわけではありませんが、胃がん患者の多くがこの道筋をたどります)。
ピロリ菌感染から胃がんに至る主な経過(Correaの仮説)
- ピロリ菌感染・急性胃炎 – 幼少期に経口感染し、一過性の急性胃炎が起こることがありますが、多くは症状なく経年で慢性炎症に移行します。
- 慢性胃炎(ピロリ感染胃炎) – ピロリ菌が胃粘膜に住み着き持続的な炎症を起こした状態です。長期間炎症が続くと粘膜の構造に変化が生じます。
- 萎縮性胃炎 – 粘膜の防御機構が損なわれ、胃腺細胞が減少して粘膜が薄く萎縮します。胃酸の分泌が低下し、胃の中はアルカリ寄りになります。
- 腸上皮化生 – 胃の粘膜が腸の粘膜に似た細胞(腸上皮)に置き換わった状態です。これは不可逆的な前がん病変で、萎縮性胃炎がさらに進行すると現れます。(※腸上皮化生ではピロリ菌を除菌しても胃がんリスク低下はあまり期待できないとされています)
- 胃がんの発生 – 特に腸上皮化生を経た場合、腸型(分化型)胃がんが発生しやすいと考えられています。一方で、未分化型(びまん型)の胃がんは萎縮を伴わずに発生することもあります。
以上のように萎縮性胃炎は、ピロリ菌感染がもたらす連鎖の中間段階と言えます。なお、原因としてピロリ菌以外に自己免疫性胃炎(自己免疫の異常により胃の壁細胞が攻撃され萎縮する疾患)があります。自己免疫性胃炎は頻度は高くありませんが、重度の萎縮により胃酸分泌が極度に低下し、ビタミンB12の吸収障害から悪性貧血(巨赤芽球性貧血)を引き起こすことがあります。いずれにせよ、萎縮性胃炎の大部分はピロリ菌感染が関与しており、日本では50代以上の年代でピロリ菌感染歴をもつ人が多いため、中高年層ほど萎縮性胃炎がしばしば見られます。近年は衛生環境の向上や除菌治療の普及により、日本人におけるピロリ菌感染率および萎縮性胃炎の有病率は年々低下傾向にあります。若い世代では感染者が減ってきていますが、現在40代以上でピロリ菌に感染した経験がある方は萎縮性胃炎を発症している可能性が高いと言えるでしょう。
萎縮性胃炎そのものによる顕著な自覚症状は、実はあまり多くありません。慢性的な胃の炎症があるとはいえ、粘膜の変化は徐々に進行するため、無症状のまま萎縮が進んでいるケースも珍しくありません。ピロリ菌に感染していても胃痛や不快感などの症状が全く出ず、健康診断の胃内視鏡検査で初めて「萎縮がありますね」と指摘される人も多いのです。
一方で、人によっては胃もたれ、食欲不振、みぞおちの不快感などの軽い消化不良症状を感じることがあります。萎縮が進行すると胃酸の分泌が減少するため、胃酸過多による胸やけはかえって起こりにくくなり、むしろ胃酸低下による消化不良(食後の膨満感)などが現れることがあります。また、萎縮性胃炎の背景に自己免疫性の要因がある場合には、前述のように貧血症状(疲労感、息切れ、舌炎など)が出ることも考えられます。ただしこれらはかなり重度の場合であり、一般には萎縮性胃炎=症状が強い、というわけではありません。
重要なのは、症状の有無にかかわらず萎縮性胃炎が存在すれば胃がんのリスクが高まる点です。自覚症状がないからといって安心せず、医師から萎縮があると指摘された場合は、定期的な検査を受け経過を追うことが勧められています。
萎縮性胃炎と胃がんリスク
前述のとおり、萎縮性胃炎は胃がん発生との関連で非常に重要な所見です。萎縮が進んだ胃粘膜では正常粘膜に比べて細胞の遺伝子異常が起こりやすく、胃がんの発生母地(土壌)になり得ます。実際に、大規模研究においても「胃の萎縮がある人は萎縮のない人に比べ胃がんになるリスクが約3.8倍高い」ことが確認されています。さらに萎縮の程度が進行するほど胃がんリスクは上昇し、萎縮が高度な人ではリスクが著明に高くなることが報告されています。
ピロリ菌感染の有無と萎縮性胃炎の組み合わせによるリスク評価も興味深いデータがあります。ピロリ菌感染が陽性で萎縮性胃炎もあるグループでは、感染も萎縮もない人に比べおよそ10倍近い胃がんリスクが示されました。一方、ピロリ菌は陰性でも萎縮性胃炎がある人の胃がんリスクは約4.9倍と高く、これはピロリ陽性でも萎縮がない人のリスク(約4.2倍)と同程度でした。つまり、萎縮性胃炎そのものが強いリスク因子であり、たとえ現在ピロリ菌がいなくても過去の感染で萎縮が進んでしまった人は注意が必要です。
萎縮性胃炎のリスクが高い背景として、日本人では塩分の多い食事や喫煙習慣なども影響します。ピロリ菌感染に加えて「高塩分食・野菜果物不足・喫煙」といった生活習慣が重なると、胃粘膜へのダメージが増大し発がんに至りやすくなることが分かっています。実際、多目的コホート研究(JPHC研究)でも食塩の過剰摂取や喫煙は胃がんのリスク要因として挙げられています。したがって、萎縮性胃炎が見つかった方は生活習慣の改善も重要です。
萎縮性胃炎は治る?ピロリ菌除菌とリスク低減効果
萎縮性胃炎と診断された場合、まず検討されるのがヘリコバクター・ピロリ菌の除菌治療です。ピロリ菌感染が判明した方には、胃潰瘍・十二指腸潰瘍の既往がなくとも「慢性胃炎(萎縮性胃炎)」に対する除菌治療が健康保険で認められており、現在では感染者全員に除菌療法を行うことが推奨されています。除菌療法とは2種類の抗生物質と胃酸抑制薬を1週間内服するだけで、入院の必要もなく苦痛も少ない治療法です。ピロリ菌を除菌できれば、その後は胃粘膜の炎症が徐々に治まり、萎縮の進行も抑制されると期待されます。
では、除菌によって胃がんのリスクはどれくらい下がるのでしょうか?研究によれば、ピロリ菌を除菌することで胃がん発生率がおおむね半分程度に低下するとの報告があります。たとえばあるメタ解析では、除菌群で胃がんリスクが約39%低減し(リスク比0.61)、統計的にも有意だったとされています。特に若いうちに除菌するほど予防効果が高く、ピロリ感染期間が短いほど萎縮や腸上皮化生といった前がん病変の進行を防ぎやすいと考えられます。実際、早期胃がん患者を対象にした試験では、除菌により胃がんの再発が約60%抑制されたという結果も得られています。
しかしながら、除菌すれば絶対に胃がんにならないという保証があるわけではありません。特に、すでに萎縮性胃炎や腸上皮化生など前がん病変が進行してしまっている場合、除菌後も一定の発がんリスクは残存します。研究によっては「除菌の効果は限定的で、胃がん発生を劇的に抑制する明確な証拠は十分でない」と指摘するものもあります。実際、日本人を対象とした臨床試験でも、高齢になってから除菌しても胃がん抑制効果は20~30%程度にとどまるという報告があり、除菌のタイミング(年齢)が重要だと示唆されています。
以上を総合すると、ピロリ菌除菌は「やらないよりやったほうが良いが、完璧ではない」というのが現状です。それでもピロリ菌感染自体が胃がん最大の原因である以上、感染者に除菌を行う意義は大きく、日本では「ピロリ菌感染者は全員除菌すべき」との専門家の見解も示されています。除菌治療によって胃・十二指腸潰瘍の再発率が劇的に低下したことは事実であり、胃がん予防についても今後さらなる長期追跡研究の成果が期待されています。
除菌後の萎縮性胃炎はどうなる? ピロリ菌を除菌すると、活動性の胃炎(粘膜の炎症細胞浸潤)は徐々に改善します。それに伴い、軽度の萎縮であれば部分的に回復する可能性があります。例えばピロリ菌陽性者を除菌後12年間追跡した研究では、除菌成功例では胃粘膜の萎縮や腸上皮化生が改善した人の割合が、除菌されなかった人に比べて有意に高かったと報告されています。ただし、高度の萎縮や腸上皮化生が既にある場合、それが劇的に元通りの正常粘膜に戻ることは残念ながら期待できません。除菌後も萎縮粘膜はある程度残存し、その部分から時間をかけて胃がんが発生するリスクはゼロではないのです。
以上のことから、ピロリ菌感染が判明したら可能な限り早めに除菌治療を受けること、そして除菌後も油断せず定期的に胃カメラ検査を受けることが大切です。これによって「除菌したからもう大丈夫」と安心しきって見逃してしまうリスクを減らし、万一の初期胃がんも早期発見・早期治療できるようになります。
萎縮性胃炎と言われたら:健診で気をつけること
健康診断や人間ドックの胃内視鏡検査で「萎縮性胃炎があります」と指摘された場合、どのような対応が必要でしょうか。最後に、萎縮性胃炎への対策と健診で気をつけるポイントを整理します。
- ピロリ菌の有無を調べる: まず第一に、ピロリ菌感染があるかどうかの検査を受けましょう。既に血液検査(抗体検査)や尿素呼気試験などで調べている場合は結果を確認し、未検査であれば医療機関で検査を受けてください。ピロリ菌陽性であれば除菌治療を検討します。除菌治療により胃潰瘍・十二指腸潰瘍の予防効果も得られるため、一石二鳥です。陰性であっても、過去に感染して除菌済みのケースや、自然に菌が消失して萎縮のみ残ったケースもありえます。その場合も油断は禁物です。
- 定期的な胃カメラ検査(胃がん検診)を継続: 萎縮性胃炎がある人は、たとえピロリ菌を除去できても数年に一度は定期検査を受けることが望ましいとされています。国立がん研究センターも「胃粘膜萎縮があると指摘された人は定期的ながん検診を受けることをお勧めします」と述べており、年に1回~数年に1回程度は胃カメラ検査を受けて経過観察するのが安心です。特にピロリ菌感染が長年あった人や高度萎縮が認められる人では、毎年ないし2年に1回程度の頻度で内視鏡フォローする医師もいます。検査間隔は担当医と相談し、自身のリスクに応じた計画を立てましょう。
- 生活習慣の見直し: 萎縮性胃炎があるということは胃がんのリスクファクターを抱えているということです。ピロリ菌以外の要因、すなわち喫煙、過度の飲酒、塩分の高い食事、野菜や果物不足、肥満などがあれば、この機会に是非改善しましょう。喫煙や高塩分食はそれ自体が胃がんのリスクを高めるとされ、ピロリ菌による胃炎と相乗的に発がんを促す可能性があります。野菜・果物に含まれるビタミンCや食物繊維は胃粘膜を保護し発がん抑制に寄与すると考えられるため、バランスの良い食生活を心がけてください。また適度な運動と十分な睡眠も含め、総合的な生活習慣の改善ががん予防に繋がります。
- 大腸カメラ(大腸内視鏡検査)も検討: 胃の検査に加えて、大腸の検査も忘れずに受けましょう。とくに50歳以上の方は大腸がん検診の年代です。胃と大腸は一見無関係に思えますが、最近の研究では萎縮性胃炎がある人は大腸ポリープを持つリスクが高い可能性が示唆されています。ピロリ菌感染による慢性炎症や低胃酸状態が全身に影響を及ぼし、大腸粘膜にもポリープや腫瘍が生じやすくなるのではないかと考えられています。実際、中国で行われた調査では、萎縮性胃炎の重症度が高いほど大腸ポリープの数が増える傾向があり、統計解析の結果、萎縮性胃炎そのものが大腸ポリープの独立した危険因子と報告されました。したがって、萎縮性胃炎を指摘された中高年の方は、大腸カメラ検査による大腸がん・ポリープのチェックも併せて受けることをお勧めします。胃も大腸も内視鏡検査で直接観察することで早期発見・早期治療が可能です。どちらも日本人に多いがんなので、片方だけでなく両方の健診を受けておくと安心です。
まとめ
萎縮性胃炎は、主にピロリ菌感染によって起こる胃粘膜の変化であり、日本人の中高年では珍しくない所見です。自覚症状に乏しいことも多いですが、萎縮性胃炎があるという事実自体が将来の胃がんリスクを高める重要なサインです。ピロリ菌陽性であれば除菌治療を行うことでリスク低減が期待できますが、たとえ除菌に成功しても定期的な胃カメラ検査を続け、胃粘膜の状態をフォローしていくことが推奨されます。幸い、胃がんは早期に発見できれば内視鏡治療で根治が可能ながんです。萎縮性胃炎と上手に付き合いながら、「定期検査」と「生活改善」の二本柱で胃がんを予防していきましょう。胃の健康を保つことは全身の健康にも繋がりますので、疑問や不安があれば消化器の専門医に相談し、安心につなげてください。