2025年9月06日
はじめに
胃酸を抑える薬(いわゆる「胃薬」)を予防的に長期間飲み続けているケースが増えています。代表的な胃薬にはプロトンポンプ阻害薬(PPI)やH2ブロッカーがありますが、果たしてこれらの薬をずっと飲み続けても良いのでしょうか? 本記事では、PPIやH2ブロッカーを長期連用することの安全性について、最新のエビデンスを踏まえてわかりやすく解説します。

PPIとH2ブロッカーとは?
PPI(プロトンポンプ阻害薬)**は胃酸を分泌する細胞のプロトンポンプを強力に抑える薬です。代表例としてオメプラゾール、ランソプラゾール、エソメプラゾールなどがあり、逆流性食道炎やピロリ菌除菌後の潰瘍予防、NSAIDs(痛み止め)服用時の胃潰瘍予防など幅広く使われます。一方、H2ブロッカー(H2受容体拮抗薬)はシメチジン、ファモチジンなどに代表され、ヒスタミンH2受容体をブロックして胃酸分泌を抑える薬です。作用機序は異なりますが、どちらも胃酸を減らす効果があります。
PPIはH2ブロッカーよりも酸分泌抑制効果が強く、現在では胃酸関連疾患の第一選択薬となっています。しかし強力な効果ゆえに、長期に使うことで懸念される副作用も報告されています。一方のH2ブロッカーは効果がマイルドで、副作用も比較的少ない傾向があります。ただしH2ブロッカーは耐性(タキフィラキシー)が生じやすく、長期間連用すると徐々に効き目が落ちてしまうことが知られています。したがって、症状が落ち着いている場合には頓服的に使う、あるいはPPIから段階的に切り替える際の一時的な使用にとどめることが一般的です。
なぜ胃薬を予防的に飲み続ける人がいるのか
胃薬を長期間服用している背景には、過去の胃潰瘍や逆流性食道炎の既往、ピロリ菌感染の治療歴、関節痛などでNSAIDsを慢性的に服用していることなど様々な理由があります。また「胃もたれしやすいから念のため」「検診で胃炎と言われたから」といった予防的な目的で医師の指示のもと継続しているケースもあります。高齢になると消化器症状が出やすく、複数の薬を併用するポリファーマシー状態の中で半ば惰性的に胃薬も飲み続けている場合も少なくありません。
実際、国立がん研究センターの報告でも「特にPPIを長期内服している患者はよく見かける」とされており、処方の見直しが課題となっています。医療現場では必要性を定期的に評価し、可能であれば減薬(デプレスクライブ)を検討することが推奨されています。次章では、長期服用によって懸念される具体的なリスクについて見ていきましょう。
胃薬を長期服用するリスクは?
短期間の服用では副作用が少ないPPIやH2ブロッカーですが、長期連用によりいくつかのリスクが報告されています。ただし強調しておきたいのは、これらの多くは観察研究に基づく関連性の指摘であり、因果関係が明確に証明されたものではないという点です。リスクの絶対値も多くの場合小さいため、過度に心配しすぎる必要はありません。しかし「安全だからずっと飲んで良い」というわけでもなく、最新の知見を踏まえ適切に対処することが重要です。
主な副作用・健康リスクの例
・感染症の増加
胃酸は細菌を殺菌するバリアでもあります。酸を抑える薬を長く使うと、腸内感染症(例えばクロストリジオイデス・ディフィシレによる腸炎など)のリスクが高まる可能性があります。また誤嚥による肺炎など呼吸器感染症の発症リスク増加も報告されています。実際、PPIなど酸分泌抑制薬の長期使用者では腸管感染症や肺炎の発症率がやや高い傾向が確認されています。
・栄養吸収への影響
胃酸は栄養素の吸収に関与しており、長期の胃酸抑制はビタミンB12や鉄、マグネシウムなどの吸収低下を招くことがあります。特にビタミンB12は胃酸によって食物から切り離され吸収されますが、PPI長期使用者ではB12欠乏症のリスクが1.4~1.7倍に増加したとのメタ解析結果もあります(ただし異質性が高く明確な因果関係とまでは言えないとされています)。カルシウム吸収低下による骨密度の低下も懸念されており、実際にPPI長期使用と骨粗しょう症・骨折リスク増加との関連が報告されています。
・腎機能への影響
最近の研究で、PPI長期使用者は使用しない人に比べて慢性腎臓病(CKD)の発症リスクがやや高いことが指摘されています。大規模解析ではPPI服用群でCKDリスクが20~50%高いという結果もあり、原因は不明ながら長期的な腎臓への負担が議論されています。ただしH2ブロッカー使用群と比較して有意差がないとの報告もあり、引き続き検証が必要な分野です。
・認知機能への影響
高齢者にとって気になるのが認知症リスクへの影響です。過去の研究では結論が一定しませんでしたが、2023年に米国で発表されたコホート研究(ARICスタディ)では、累積4.4年以上PPIを使用していた高齢者は未使用者に比べて認知症発症リスクが33%高かったと報告されました(HR 1.3, 95%CI 1.0-1.8)。一方で、それ未満の使用期間では差が認められず、因果関係の解釈については慎重さが求められています。現時点では「長期のPPI使用者で認知症がやや増えるかもしれない」という関連が示唆されているものの、潜在的な交絡因子も多くさらなる研究が必要です。
・その他のリスク
このほか心血管系への影響も一部で議論されています。例えば観察研究でPPI長期使用者は心筋梗塞の発生率がわずかに高いとの報告があり、胃酸が減ることで腸内細菌叢が変化し全身の慢性炎症に影響する可能性が指摘されています。ただしこちらも因果関係は明らかでなく、喫煙や肥満など他の要因を十分に補正できていない可能性があります。
以上のように、PPIを中心に長期連用に伴う様々なリスクが報告されています。しかし改めて強調すると、これらリスクの多くは「関連がみられた」というレベルであり、絶対リスクは大きくありません。実臨床では、PPIは「比較的安全で有益な薬剤」であると同時に、「本当に必要な患者に限定して使うべき薬」であるというバランスの取り方が重要だとされています。
胃がんとの関係:胃カメラは必要?
長期の胃薬使用で特に心配されるのが「胃がんになりやすくならないか」という点です。かつてからピロリ菌感染者でPPIを長期に使うと、胃粘膜萎縮が進んで胃がんリスクが上がる可能性が指摘されていました。2018年には香港の研究グループが大規模データベース解析を行い、注目すべき結果を報告しています。
この研究(Cheungら, Gut誌)では、ピロリ菌の除菌治療を受けた6万3千人超を平均7.6年間フォローしたところ、PPIの長期使用者は非使用者に比べ胃がん発症リスクが約2.4倍高いという結果でした。しかもPPIの服用期間が長いほどリスクが上昇し、1年間以上では約5倍、2年以上で約6.6倍、3年以上では8倍以上という有意な増加が示されたのです。一方でH2ブロッカーを使用していた場合、胃がんリスクの増加は認められませんでした(HR 0.72, 95%CI 0.48-1.07とむしろ低め)。このことから「ピロリ除菌後であってもPPIの長期使用には注意が必要」と結論付けられています。
ただし、この結果は観察研究である点に留意が必要です。解析ではPPI長期使用群に喫煙者や高齢者が多いなど偏りもあり、著者らも「因果関係の証明ではない」と慎重な解釈を促しています。実際、絶対リスクで見ると胃がん発症は全体の0.24%(153人)に過ぎず、PPI使用による発症率の差は1万人あたり年間4.3人程度の上乗せという小さなものです。専門家も「統計学的に有意でも臨床的な影響はごく僅かで、PPI服用者が過度に不安になる必要はない」とコメントしています。
とはいえゼロではないリスクが示されたことも事実です。特に日本人ではピロリ菌感染者が多く、除菌治療後も胃がんの発生が一定数みられます。国立がん研究センターも「除菌で胃がんリスクは3~7割減るがゼロにはならないため、引き続き定期的に胃内視鏡(胃カメラ)検査を行い早期発見に努める必要がある」と強調しています。胃薬で症状が落ち着いているからといって油断せず、特に中高年では胃カメラによる定期チェックを検討しましょう。
胃カメラでわかること
胃カメラ(上部消化管内視鏡検査)を行えば、胃潰瘍やポリープ、早期胃がんなどの有無を直接確認できます。PPIを長期間服用していると、胃酸が抑えられている分だけ症状が軽く出たり、出なかったりすることがあります。しかし病気が進行してからでは治療が難しくなるため、症状の有無に関わらず一定の年齢以上では胃内視鏡検査を受けることが推奨されます。特にピロリ菌陽性だった方や胃の病変を指摘されたことがある方は、定期的に胃カメラで状態をチェックすることが大切です。
なお、PPI長期服用者では胃に胃底腺ポリープという小さなポリープができることがよくあります。これは胃酸分泌低下による反応で生じる良性のポリープで、PPI未使用者に比べ最大4倍程度リスクが高まると報告されています。幸い悪性化の危険性はほとんどなく、心配はいりませんが、胃カメラ検査で見つかることがあります。ポリープが多数見つかった場合、担当医からPPIの減量や中止を提案されることもあります。
大腸への影響:大腸がん検診と大腸カメラは必要?
胃薬の長期使用が大腸がんに与える影響についても、一部で懸念が提起されました。PPI長期服用により血中ガストリンが慢性的に高くなるため、「それが大腸粘膜の細胞増殖を促し、大腸がんリスクを上げるのではないか」という仮説です。しかし、この点に関しては安心できるデータがあります。大規模な症例対照研究やコホート研究のいずれでも、PPI長期投与による大腸がん発生の増加は確認されませんでした。専門家の検証でも「PPIの投与が大腸がんを増やすことはなさそうである」と結論付けられており、現時点で直接的な因果関係は否定的です。
一方で、大腸がんそのもののリスクは加齢とともに高まります。胃薬を飲んでいる・いないに関わらず、中高年になれば誰でも大腸がん検診を受ける意義があります。大腸がんは早期のうちは自覚症状がほとんどないため、症状が出てからでは進行していることも多いのですncc.go.jp。無症状の段階で早期発見するために、大腸がん検診(スクリーニング検査)が各種用意されていますncc.go.jp。
胃薬を長く飲んでいること自体が大腸カメラの適応になるわけではありません。しかし上述のように年齢が上がれば大腸がん検診を受け、大腸カメラによる精密検査につなげることが重要です。PPIやH2ブロッカーそのものは大腸がんリスクを高めないにせよ、「胃薬さえ飲んでいれば安心」というものではなく、大腸も含めた消化管全体の健康チェックは別途必要と言えるでしょう。
胃薬との上手な付き合い方
以上の知見から、PPIやH2ブロッカーの長期連用については「必要な人には有用だが、不必要に漫然と続けるのは避けるべき」という結論になります。では具体的に、胃薬との付き合い方で気を付けるポイントをまとめます。
1. 処方目的を定期的に見直す
まず大切なのは、「なぜこの薬を飲んでいるのか」を定期的に振り返ることです。例えば「胃潰瘍が治ったのに何となく続けている」「昔ピロリ菌がいたが除菌後も不安で飲み続けている」などの場合、本当に継続が必要か主治医に相談してみましょう。ガイドラインでは、明確な適応(逆流性食道炎の重症例やバレット食道、NSAIDs長期使用による潰瘍予防など)がない限り、PPIの長期投与は定期的に中止を検討すべきとされています。症状が落ち着いていれば、まず減量あるいは休薬を試み、再燃するようなら再開するという方針もありえます。
2. 勝手にやめず、医師と相談して減量・中止する
長期間PPIを服用している人が注意すべきなのは、自己判断で急に中止しないことです。PPIを長く飲んでいると、薬を止めた後に一時的に胃酸が過剰に分泌されて強い胃酸症状(胸やけや胃痛)が現れる「リバウンド現象」が起こりやすくなります。このため、中止するときは医師の指導のもと徐々に減量するか、あるいはH2ブロッカーに切り替えて段階的に減薬するのが安全です。国立がん研究センター中央病院の取り組みでも、PPI長期使用者に対して用量を漸減したりH2ブロッカーを挟んだりする方法で減薬を行うケースが多いと報告されています。
3. 不必要な併用を避ける
「念のため」と複数の胃薬を同時に飲んでいる方がいますが、これは基本的に推奨されません。特にPPIと胃粘膜保護薬(胃コーティング剤等)の併用は、PPIだけで十分効果があるためあまり意味がありません。実際、先の中央病院の報告では「PPIとの併用意義が薄い胃粘膜保護薬は中止する」ことも減薬のポイントとして挙げられています。処方が重複していないか、お薬手帳を確認し医師や薬剤師に相談すると良いでしょう。
4. 生活改善も取り入れる
胃酸逆流や胃もたれの症状がある場合、薬だけでなく生活習慣の改善も効果的です。例えば食事は就寝の2~3時間前までに済ませる、脂っこいものや刺激物を控える、腹八分目を心がける、過度の飲酒を避ける、肥満の解消や喫煙者は禁煙する等です。これらにより症状が軽減すれば、強い薬に頼らず済む可能性もあります。医師と相談しながら、薬に加えて根本的な生活改善にも取り組んでみましょう。
おわりに
「胃薬は飲み続けて良いのか?」という問いに対して、本記事では現時点でのエビデンスを基に考察しました。PPIやH2ブロッカーは適切に使えば大きな恩恵をもたらす薬ですが、一方で長期連用に伴う潜在的リスクもいくつか報告されています。特にPPIでは感染症や栄養障害、骨密度低下、認知機能への影響など様々な関連が指摘されており、必要最小限の期間・用量で使うことが望ましいとされています。ピロリ菌除菌後の胃がんリスク増加のデータは話題となりましたが、絶対リスクは小さいものの「ゼロではない」ことを踏まえ、定期的な胃カメラ検査による監視が推奨されます。大腸がんについては直接的なリスクは認められていないものの、年齢に応じた大腸がん検診の受診を怠らないようにしましょう。
何より大切なのは、主治医とよく相談することです。現在飲んでいる胃薬が本当に今も必要なのか、減らせる余地はないか、一度立ち止まって確認してください。医師の判断で継続が必要であれば指示に従い、不要であれば安全に減薬していきます。正しい知識を持ち、胃薬と上手に付き合っていきましょう。